fc2ブログ

ritmj

http://raedinthemiddle.blogspot.com/の日本語化。コメント欄はなし、トラックバックはオープン。Raedへのメールは彼のウェブログからどうぞ。

*翻訳者より* Marla Ruzicka (1976 - 2005)

マーラ・ルジカ死亡の第一報を伝えた在バグダード英国人のウェブログの記述を、日本語にしてあります。死亡の報を知って数日になりますが、今回日本語にする作業を経て、ようやくショック状態になってきました……面識はないし直接やり取りをしたこともないけれども、彼女の死の報は、あまりのことに、どこか余所で起きたまったく関係のないことのように、無感覚に感じていました。

flowers for her
For the one who stood out among all of "us".
For the one who did all the things she was able to do in this difficult time.
For the one who really made a difference.

I still can't believe this. I'm too upset to cry, even after a couple of days.

- nofrills

支援物資第3回目を発送、支援計画第一段階終了(14 April 2005)

「支援キャンペーン:イラクの民間人被害者への緊急援助」の第一段階(→日本語での詳細説明)の終了を、本日宣言します。

僕の家族と僕がこのキャンペーンを始めたのは、5ヶ月以上前でした。

一番下の弟のマジードが資金集めの総責任者をし、すべての寄付金はマジードのPaypalアカウントか彼の住所、あるいは僕の銀行口座に送られました。

母と、もう一人の弟のハリードがイラク国内での支援物資の配送を担当しました。

ニキと僕とで、マジードから送金されたお金の受け取りと薬品の調達、ならびに調達した薬品のバグダードへの移送を行いました。

イラクからの僕の友人であるラーナとラファトも参加しました。ラーナはイラクの登録NGOをやっていて、第一回の発送で手伝ってくれました。

アンマンにいる僕のおばは薬剤師ですが、そのおばが第二回の発送で薬品の購入と移送に力を貸してくれました。

イラクの登録NGOである「イラクのための医師たち(Doctors for Iraq)」のメンバーのひとり、ドクター・サラームが、第三回の発送とそのイラク国内での分配に力を貸してくれています。

第一回発送分は、ファルージャ近郊のアル=ガルマという町に送られました。第二回発送分と第三回発送分は、今週配送されます。

(あちらから受け取り次第、さらにまた写真や書類を追加してウェブにアップします。)
寄付金の総額は、米ドルで18,343ドルでした。これまでに17,783ドルを使いましたが、まだ560ドル余っており、これは第二段階に繰り越します。

17,783ドルのうち、二次的費用(税金、罰金、輸送費、両替手数料、送金手数料)として使われたのは5パーセントで、95パーセントは、包囲され爆撃されたイラクの都市や町の市民たちのために非常に重要な薬品類を買うために使われました。

ウェブログの右側につけてあるボタンをクリックして、ご寄付を送金していただくことができます。5ドルとかそれ未満の送金でも大変にありがたいことです。1セント1セントが重要なのです。

下に今回ご寄付くださった方のイニシャルと送金額をリストにしておきます。ご自分のお名前が見当たらないという場合には、ウェブログのコメント欄ではなく僕までメールをください(コメント欄は読んでないので)。
【“支援物資第3回目を発送、支援計画第一段階終了(14 April 2005)”の続きを読む】

数十万人のイラク人が「出て行け」と (10 April 2005)



「出て行け」「私たちの国から撤退せよ」と書かれた旗を持ち、土曜早く、人々が街を練り歩き、首都全域で道路を埋め、交通渋滞を引き起こした。抗議者のほとんどはバグダードのスラムであるサドルシティから来ていたが、クットやアマラ、バクバといったほかの都市からバスに乗ってやってきた抗議者も多かった。ある推計では抗議デモ参加者の数は30万という。


※別の記事:
バグダードのデモ参加者のほとんどは、若い宗教指導者ムクタダ・アル=サドルに忠実なシーア派であった。しかしアメリカ軍の駐留に終止符を打つことを求めるコーディネートされた抗議行動は、ラマディやバイジといったスンニ派の強い地域でも行なわれた。


スンニ派、シーア派が、占領を終えるよう要求して行進した。

Posted by: Raed Jarrar / 10:36 PM

-- original post: Hundreds of Thousands of Iraqis Said "GO OUT", 10 April 2005

ヨルダン、イラク陥落の日の抗議行動を禁止(08 April 2005)



政治活動家らは、ヨルダン当局が、米国のイラク侵略と占領の2周年のデモを禁止したと述べた。

アンマン市長のアブドゥル・カリム・アル=マラーマ(Abdul Karim al-Malahma)は、14の反対党が、バグダードが米国主導の軍に陥落した日である4月9日に大規模なデモを行なうとアナウンスした後、彼らの申請を却下した。


Posted by: Raed Jarrar / 8:34 PM

-- original post: Jordan Bans Protests Marking Fall of Iraq, 08 April 2005

アフガニスタンで米兵と契約業者計20名が死亡(07 April 2005)



米兵13名、契約業者3名とその他の2名が、アフガニスタンでのヘリコプター墜落で死亡した。

アフガンで地雷が爆発 米兵4人巻き込まれる

米国の占領軍が私たちの国から出て行くのはいつだ?

Posted by: Raed Jarrar / 7:49 PM

-- original post: 20 US soldiers and Contractors Dead in Afghanistan, 07 April 2005

ソウル、イラクから部分的な撤退の計画(07 April 2005)



韓国が8月までに300人近くの兵員をイラクから撤退させることを計画していると、韓国の国防省が今日アナウンスした。イラク北部のクルド人地域での治安が向上しているため今回の動きが可能となったとしている。

同省は、イラク駐留韓国軍の兵員を270名削減して3270名にする予定であると述べた。しかし、韓国メディアがクルド人自治区内の都市アービルから既に500人を撤退させていると報じている件については否定した。

Posted by: Raed Jarrar / 12:17 PM

-- original post: Seoul Plans Partial Iraq Withdrawal, 07 April 2005

米国&英国、否定の季節(06 April 2005)



イラクで慢性的な食料不足と栄養失調に直面している子どもの数が増加しているとの報について、米英の当局者が否定している。国連の飢餓の専門家であるジャン・ジーグラー氏によって出された先週の報告書では、連合軍が主導した戦争のために、イラクの状況が悪化しているのだと非難している。

ケヴィン・モーレー米国連大使は、ジーグラー氏の発見を一蹴した。「第一に、ジーグラー氏はイラクに行ったことがない。第二に、彼は間違っている」と同大使は述べた。


わはははは!! 違う違う、あいつは間違ってる、僕が正しい、だって僕がそう言ったんだもん……。

どうにも手の施しようのないことになってやがる……。

この1日前には、別の国連報告書が出てる。こちらでは、米国がアラブのデモクラシーを妨害していると非難されているわけで……。

国連開発計画によって、「アラブの人的開発報告書(The Arab Human Development Report)」が出された。予定より6ヶ月遅れたが、その期間、ブッシュ政権はその報告書を妨害しようとしていた。しかしながら、報告書作成者によれば、報告書は初期の草稿と比べて大きな変更となった箇所はほとんどないようである。

ブッシュ政権は、初期の草稿における、パレスチナの領土に対するイスラエルのコントロールと、米国によるイラクの占領は、アラブの人的開発を阻害するために貢献したのみである、とする文言に反対していた。この報告書はまた、アメリカによるイラク侵略の1つの結果は、「イラクの人々は、基本的権利と自由を踏みにじったディストピア的政権の手から出たが、その結果は、人間としての苦しみを増加させた外国の占領のもとに落ちただけだった」とも述べている。

報じられたところによると、ブッシュ政権は、そのような文言が報告書のテクストから除去されないのであれば、開発計画への資金を減らすと脅した。開発計画では私営企業を通じて報告書を発表すること、ないしは報告書の著者の名前で発表することを検討した。最終的には開発計画は自身の名前でこの報告書を発表したが、前書きには注意書きが添えられている。


政治的に正しい答えを僕は知ってます。第一に、国連の人たちはイラクやパレスチナに行ってないから、イラクやパレスチナの自由を見たことがない。第二に、何にせよ彼らは間違ってる。

第三に、資金をカットだ
Posted by: Raed Jarrar / 10:18 AM

-- original post: US and UK in Denial Phase, 06 April 2005 【“米国&英国、否定の季節(06 April 2005)”の続きを読む】

50人殺した!でかしたぞ!(06 April 2005)

smith_bio.jpg

2005年4月4日のホワイトハウスでのセレモニーにおいて、ポール・レイ・スミス軍曹(=ファースト・クラス・サージェント)(Sgt. 1st Class Paul Ray Smith)が、死後、名誉勲章を受けることになった。the White House Presentationが出たあとに、公的な文面が入手可能となる。


これが冗談だと思われた場合には、下記をどうぞ。


昨日、ブッシュ大統領は、陸軍軍曹(=サージェント・ファースト・クラス)のポール・レイ・スミスに名誉勲章を授けた。この兵士がひとりで(single-handedly)50人ものイラク人反乱者を殺し、100人以上のアメリカ人の命を救ってから、この日はちょうど2年にあたる。


彼は100人の「アメリカ人」の命を救った!
彼は50人のイラク人反乱者を殺した! 腕一本で!
ばかげたハリウッド映画みたいに聞こえるけど、待って、もっとよくなるから……

2年前の今日、スミス軍曹は仲間たちのために全力を捧げつくしました」と大統領は述べた。「その5日後、バグダードは陥落し、イラクの人々は解放されました。そして今日、私たちはここに、テロとの戦争における最初の名誉勲章を、スミス軍曹に捧げます」とブッシュ大統領はイースト・ルームでのセレモニーで述べた。


へへへへへ!
誰かブッシュ氏とワシントンタイムズ紙に言ってやってくれないか。バグダードの陥落前にはイラク人のことを「反乱者」とは呼んでなかっただろうって。

でもまあ別にどうってことないけどね。どうせイラク人はイラク人、「アメリカ人」でない以上はどうだっていいじゃん、みたいな。

ところで、似てるような気がするのは僕だけでしょうか、それともあなたもそう思いますか……。

【“50人殺した!でかしたぞ!(06 April 2005)”の続きを読む】

アブデル・マハディ、アル=ヤワル、そしてタラバニ (05 April 2005)


*訳注:写真は左から、タラバニ、アル=ヤワル、マハディの各氏。

イラクからのニュースによると、明日タラバニが大統領に選ばれるらしい。副大統領はアディル・アブデル=マハディとガジ・アル=ヤワル。

ジャラル・タラバニ(JALAL TALABANI):スンニ派クルド人で、北部の大きなクルド2政党のうちのひとつ、クルディスタン愛国同盟(Patriotic Union of Kurdistan)のリーダー。1934年生まれ。10代のときにクルディスタン民主党(Kurdistan Democratic Party)に加わり、1975年にPUKを設立。タラバニとKDP党首のマスード・バルザニは、選挙では連合を組んで「クルディッシュ連合のリスト」として立候補した。

ガジ・アル=ヤワル(GHAZI AL-YAWER):シーア派のクランも含み、ペルシャ湾地方で最大の部族であるシャンマー族(Shammar tribe)の勢力のあるスンニ派メンバー。モスル生まれの土木技術者で、45歳。サウジアラビアと米国のジョージワシントン大学に学んだ。イラク人の党(Iraqis Party)を率いている。

アディル・アブデル=マハディ(ADIL ABDUL-MAHDI):イラクの元財務大臣で、シーア派のSCIRIの主導的政治家。1942年生まれ。王政時代のイラクの閣僚であった人望のあついシーア派聖職者の息子で、フランスで教育を受けている。United Iraqi Allianceで立候補した。

首相についてはまだ何も聞きません。

Posted by: Raed Jarrar / 10:39 PM

-- original post: Abdel-Mahdi, Al-Yawar, and Talbani, 04 April 2005
【“アブデル・マハディ、アル=ヤワル、そしてタラバニ (05 April 2005)”の続きを読む】

ブッカ刑務所で暴動:嘘つきはだ~れ、再び (04 April 2005)


イラクの刑務所の門の鍵。イラク南部に位置する米国が運営する収容キャンプの囚人たちが、4月1日に暴動を起こした。米軍はこの件を否定していたが、国際赤十字委員会がこれを事実と確認した。

4月1日にキャンプ・ブッカで暴動が発生した。国際赤十字委員会の代表団が、当日、定例の囚人訪問で現場に居合わせており、現在詳しい状況を確認中である」と、国際赤十字委員会のバグダード代表団のチーフであるクリストフ・ベネイ氏は述べた。

これより先に、……な聖職者であるムクタダ・サドル師の運動の代表者が、キャンプ・ブッカでは金曜日に被拘束者の一部が暴動を起こしたことを明らかにしていた。暴動を起こした被拘束者のうちのひとりが、医学的手当てを受けることを拒まれていた。

サドル師の運動の代表者は、米兵はゴム弾を使って暴動を抑え、人数ははっきりしないが、被収容者を負傷させたとして厳しく非難した。


しかし米軍がそれについて訊かれると……。
サドル師の運動の説明についての質問を受け、イラクにおける米国運営の収容施設のスポークスマンであるガイ・ラディシル中佐は、そのような出来事すなわち暴動があったとはまったく知らないと答えた。

囚人の虐待の報告は一切ありませんし」と同中佐はAFPに語った。「そのようなことはそこでは一切起きていませんが。医学的ケアを受けられない人も誰もいませんが。


ところで、こんな薄汚い拷問の巣窟がどうしてブッカという名前なのかということですけど……

米軍は、2001年9月11日のニューヨークのWTCへの攻撃で死亡した消防士にちなんで名づけられたキャンプ・ブッカを、拡張拡充し、アブ・グレイブに収容されている者を含め、最も重い違法行為者を収容する長期収容施設にしたいという思惑がある。


ブッカさんが気の毒だ。過激派に殺されて、死後名前を過激派犯罪者に利用されるなんて。
Posted by: Raed Jarrar / 10:50 PM

-- original post: Riots in Bucca Prison: Guess Who's Lying, Again, 04 April 2005
前のページ 次のページ