お母さんであるFaizaさんのウェブログ,24日記事:
http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/2005_07_24...Sunday, July 24, 2005
2005年7月24日(日)
おはようございます。
今こちらは午前11時ですが,ハリードは眠っています。とても疲れているのです。この12日というもの満足に眠っていなかったのですから。
この12日の後,昨晩は私も満足に眠れませんでした。
今もまだ拘置施設にいるイラクの人々のことを考えていたのです。拷問や虐待を受け,家族の誰もその人のことについて何も知らされない。どこにいるのか,どんな罪状なのかも。
ああ神様,イラクでの生活は何と恐ろしいものになってしまったことか……。
こういった人々を助け,彼らの人権をサポートするために,私たちは団結しなければなりません。もうサダム・フセインの時代ではないのです,自由と民主主義の時代のはずです!
私たちでキャンペーンを始めないと。
faiza
# posted by faiza @ 11:56 AM
※「翻訳」というか日本語化はかなり粗いです。すみません。
先日ムハバラトに拘束されたKhalidさんが釈放されたとの報告が,Faiza(お母さん)のウェブログに上がっていました。
Faizaのウェブログ:
http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/
※画像はクリックで原寸。
2005年7月23日土曜日
こんばんは。
ハリードが釈放されました……
アンマンに向かっているところです。
神に感謝を,そして彼の釈放を祈ってくださったすべての方々に感謝を。
faiza
# posted by faiza @ 9:19 PM
続いてお兄さんのRaedのウェブログにも……
http://raedinthemiddle.blogspot.com/2005/07/khalid-is-free.html
何日間も何もわからず心配していましたが,ようやくハリードが釈放されました。
このつらい時期に,暖かいメールやメッセージを送って僕たちを励ましてくれたすべての方々に感謝申し上げます。
この2週間というもの,僕も含めて家族全員が,イラクで拘束されているハリードを解放させることに全力を傾けてきました。弟が解放された今,僕たちは,米国の拘置施設もしくは米国が支援する政権の拘置所に閉じ込められている何万もの罪のない人々に対して,できることをしていきたいと思います。
Posted By Raed Jarrar at 10:17 PM
Raedのところでの新情報はありません。
英国の新聞,ガーディアンのフォーラムに,誰かがスレを立ててくれています。ガーディアンのフォーラムは概して荒れ荒れなのですが,このスレは荒れていません。
オンライン署名,Free Khalid Jarrar Now!!!の署名数は,740です。ご署名いただいた中の日本名の多さに,何と申し上げてよいやら……。
上記のガーディアンのフォーラムで,スレ主さんが,こう書いていることをお知らせしておきます。
That's the petition - 723 signatures as I write, a cheerful detail is that I can see names from Japan, Scandinavia, France,Latin America, Israel, Greece, Italy, Iran, Arabic names etc.... on top of the English names - the world united against Khalid's captors !
署名は――現時点で723。ちょっと嬉しいのが,日本とかスカンジナヴィアとかフランス,ラテンアメリカ,イスラエル,ギリシア,イタリア,イラン,アラブなどなどの名前があること……英語の名前以上に。全世界がハリードを拘束した者に反対して一致団結してるね。
※ガーディアンのフォーラムは,閲覧は誰でもできますが,書き込みは登録が必要です。多分無料です。
Raed blogコメント欄より,Raedの発言:
19 July, 2005 02:22
Thank you for your kind thoughts and offers of support in regards to khalid's case. We're trying to keep a "low profile" for the time being, but perhaps we'll start planning for a public campaign in the near future. Please don't forget that Khalid is one of many innocent prisoners in Iraq who need international support. We'll keep you updated.
ハリードの件,いろいろとありがとうございます。当面は「目立たない」ようにしていますが,そのうちに公のキャンペーンを始めるかもしれません。それから,ハリードはイラクにたくさんいる,無実の罪で囚われている人々のひとりであるということを忘れないでください。彼ら皆に国際的支援が必要です。進展があればご報告します。
19 July, 2005 15:42
No news about khalid yet.
ハリードについて新しい情報はありません。
# Raed blogのコメント欄は,初めて見る方はびっくりされるかもしれませんが,大変に荒らされています。その中で平然と論を戦わせている人もいるのですが。

昨日,サダムの裁判についてのこの記事を読んでびっくりしました。
サダム・フセインが米国に身柄を拘束されて19ヶ月以上が経つが,ようやく初公判が開かれる運びとなった。初公判では,1982年にドゥジャイル(Dujail)のサダム・フセイン暗殺未遂事件現場で起きた150人の殺害事件が中心となる。
-- source
バグダードで高校に通っていたころ,僕はサダムが失墜する日のことを夢見ていた。サダムが権力の座から去ることは,僕の夢のひとつだった。1980年代初めにサダムが権力を握ってから数々の無責任かつ攻撃的な決定を為したわけだが,僕はその背後の秘密をすべて知りたいと思っていた。
米国政府は,サダムをはじめとする旧政権最上層部を,1つの罪状で起訴する考えのようだ。そう,たった1つ――サダムの生命を狙った暗殺未遂計画の後で,ドゥジャイルで発生した158人の処刑。そして,もし有罪となれば,サダムは処刑される。
もちろん,この事件で処刑された158人の方々とそのご遺族には哀悼の意を表するが,この事件は,サダム時代に行なわれたほかのひどい出来事と比べたら,小さなものだ。8年間も続き,何十万というイラク人・イラン人を殺し,また傷つけたイランに対する戦争(うちの親戚でも多くの人がこの戦争の間に死んだり負傷したりした),イラクのクルド人に対する残忍な政策(僕にはクルド人の友人がいるが,彼らの中には家族が追放されたり殺害されたりしている),イラン系のイラク人に対する残忍な政策(うちの母のおじが,何ら犯罪を犯してもいないのに,国外追放になっている),反対党のメンバーを無慈悲に暗殺したこと(僕の従兄弟のひとりのように――彼はシーア派のダアワ党のメンバーで,そのために,家族の目の前で殺された),愚かにもクウェートに攻撃を仕掛け,湾岸地域にかろうじて残っていた汎アラブ主義を根絶したこと(クウェートには僕のおじが2人住んでいたが,激しい攻撃の後,クウェートから去ることになった),1991年の〔シーア派の〕蜂起の後,イラク南部でイラク人を大量に殺したこと,などなど,大きな災厄はいくらでもある。
米国政府はイラク人に真実を知らせたいとは考えていない。サダムがイラク人に本当のことを教えることはないだろう。歴史的に支援され,正当であるとの根拠を与えられ,米国によって隠蔽されてきたサダムの犯罪の秘密は,米国もサダムも,守り抜くだろう。
僕はバグダードが陥落する何年も前から,占領戦争に反対してきた。それは
僕がサダムを好きだったからではなく(→
日本語),こうなることが見えていたからだ。「解放」から2年が経過して,米国は大量破壊兵器はまったく見つけていないし,サダムは彼の秘密を一切語っていない。そしてイラクは燃え上がっている。
米国政府は処刑されたサダムの死体を,すべての秘密と一緒に埋めるだろう。僕たちがその秘密を知ることは予定されていない。軍事的支援(イランの反米的政府に対するイラクの戦争への無制限の支援のような),汚い政治的取引(サダムのクウェート攻撃に青信号を出したこと,またその後,1991年の南部での革命を叩き潰す許可を,サフワン
*のイラク政府に書面で出したことといった取引),イラクに販売された化学兵器(前線でイラン人に対して用いられたものや,イラク北部のクルド人に対して用いられたもののような),その他もろもろの政治的・経済的な秘密の取引,それらすべてが知られることなく埋められるだろう。
*******
イラクからは何も知らせはありません。イラク全土の何千という政治囚とそのご家族すべての胸中に思いを馳せています。
訳注:サフワン(Safwan)はイラクとクウェートの国境。
参考@globarsecurity.org。
-- original post:
Saddam, The US, and their Victims, Monday, July 18, 2005, posted by Raed Jarrar @ 8:32 PM
※日本語訳の文は暫定です。うまくできているとは到底思えません。(いつものことですが。)
前記事「
Raedの弟のKhalidがムハバラトに拘束されています」のアップデートのみ,取り急ぎ。
■
Sunday, July 17, 2005, 4:25 AMより:
うちの弟は拘置所で6度目の夜を過ごしている。弟は,いきなり姿を消し,はっきりした理由もなく,イラク全土に数多くある拘置所とか刑務所とかのひとつに入れられてしまう何千というイラク人の1人にすぎない。
イラクで米国が拘束している人々の数は,この6月にはこれまでで最高値に達し,その後わずかに減っている。6月の被拘束者の平均総数は10,783。イラクの政府および準軍の拘置所に拘束されているイラク人の数は,特定されていない。
母は昨日すっかり取り乱して,母のウェブログに投稿されていたアラビア語の記事をすべて消した。家族が反占領でかつ現政権に批判的であるなどと知ったら,イラク政府はハリードを拘束したままにしておくんじゃないかと考えてのことだ。これで思い出したのだが,僕はかつて古い友人のサラーム(サラーム・パックス)と共同でウェブログをやっていたのだけど,当時のイラクのムハバラトが発見したらということで,彼がそのウェブログを消去したことがある。3年前のこと。その夜は僕は眠れなかった。
そして今日も僕は眠れない。
歴史は繰り返す,ね。
:*)
■
Sunday, July 17, 2005, 11:31 PMより:
新生イラクの法廷は,弁護の権利を保証していないらしい。つまり,拘束された人は国選弁護人の手配もされないし,また,自分自身の弁護士を連れてくることもできない。弟についての情報はあれこれ錯綜しているけれども,明日になればもっとわかると思う。イラクにある米軍の刑務所に拘束されているのは1万人以上。このほかに数千人単位が,イラク政府および準軍の拘置所に拘束されている。全員が,家族に電話してどこにいるのか,逮捕後にどういうステータスにあるのかを知らせる権利があって当然だし,全員が,裁判を受ける権利,自分がどのような罪状なのかを知る権利があってしかるべきだし,全員が,自分の裁判のために弁護士を立てることができて当たり前だ。
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なお,Jarrarさんたちは,金曜日にバグダードの南のムサイイブ(またはムサイブ:Musayyib)で発生した市中心部のガソリンスタンドでの自爆と大爆発(死者98人,負傷者100人以上→
毎日新聞記事,
讀賣新聞記事)で負傷した人々のために,火傷の治療薬などを送る準備を進めているそうです。前回のファルージャ支援で持ち越されたお金と,その後寄せられたお金とで実施するとのこと。Jarrarさんたちへの送金は,
Raed blogのmake a donationボタンからできます(Paypal利用)。なお,Paypal以外の送金方法については,
昨年11月のteanotwar.blogtribe記事をご参照ください。
Raedのウェブログを見ている人にはきっと,日本語化担当の私がさぼっているように見えているかもしれないけれど,実は一種の現実逃避です。ここしばらく仕事も立て込んでいるのですが,マーラ・ルジカの件で完全にメンタルのキャパ超えたって感じ。彼のウェブログを読んでも日本語になりません。かろうじて日本語にしても,アップロードできる質になっているとは思えない。すみません。しばらくしたら日本語化の作業を再開します。
さて,Raedの弟のKhalidが,先日,ムハバラト(イラク政府の情報機関)に連行されました。状況は私にはまったくわかりません。理由も私にはわかりません。彼はバグダード市内の大学に通っていますが,大学から連行されたそうです。アンマンからバグダードに戻って数日後に。私は何をしたらよいのでしょう。何もできません。祈るよりほかには。すぐにでも,Khalidといつもの他愛もないメールのやり取りができるようになることを祈るよりほかには。
Khalidは,家族がみなアンマンにいて不在だった家に泥棒が入ったとのことで,お父さんが仕事でバグダードに物資を送る際に物資を運ぶ車に乗ってバグダードに戻りました。家の中は荒らされ,パソコンのパーツは盗まれ(筐体やモニタは置いてあったそうです),泥棒が鉄のドアに空けた穴から砂嵐が家に入って家の中はひどいありさまで,お父さんとKhalidで片付けるのに2時間かかって,さらに,泥棒は近所のケバブ屋から買ってきたケバブの食い残しをリヴィングに残していったというドタバタめいた記述と,ヨルダンからイラクに入るときの国境の様子(これがまたおもしろいんだけどね)とが,
7月10日付のKhalidのウェブログに上がっています。
その後,大学から行方不明になり,数日して拘置所からお父さんに本人からの電話連絡が行ったとのこと。
Raedは「ムハバラトでよかった」ということを書いていますが,これはあまりにきつすぎて私のキャパを完全に超えています……各種の組織/集団のこととか,バドル旅団のこととか,頭ではわかってたつもりなのですが。
私が何もできない間に,RiverbendのウェブログBaghdad Burningを日本語にしている「リバーベンド・プロジェクト」の方が,
バグダード・バーニング日本語版の7月15日記事で,関連するRaed blogの記事を日本語にしてくださいました。深く感謝し,引用させていただきます。
7月12日
今日、家族の一人がバグダードで行方不明になった。生きていますように・・・
7月13日
まだ、見つからない。家族全員と友人たちで、バグダード中の病院、遺体安置所を探している。全市のイラク警察署、イラク軍拘置所、イラク特殊部隊拘置所、イラク私兵集団の拘置所、米軍拘置所と刑務所を尋ね歩いている。彼が拘束されていたとしても、通常2週間は何の情報も提供されないと言われた。 ここで、彼の名前を明らかにしていないのは、もし(非政府系の)集団のしわざだった場合を考えて安全に配慮したためである。
7月14日
さいわい、政府の連中のしわざだった。
朝7時、母がうれしさいっぱいの大声で私を起こした。「ハリドは無事よ」。家族の中で、ニキとぼくだけがまだこの「うれしい知らせ」を知らなかったのだ。ハリドがムハバラート拘置所から父に電話してきて、生きていることを伝えたのだった。ハリドは大学でムハバラートに拘束され連行されたと言ったという。父から母とマジェドへ、そしてぼくたちへと知らせが伝えられた。 ぼくたち家族の喜びようたっら、まるで宝くじにあたったみたいと、人は思うだろう。母なんて午前中いっぱい、ハリドの行く末をあれこれ、結婚式をどうするかまで計画して過ごしたくらいだ。 地球上のどこかほかのところでは、子どもや家族の一員が2日前に行方がわからなくなって、秘密警察から電話があったとしたら――とんでもない災難、人権の侵害と受け止められるだろう。
ところが、イラクでは、うれしい知らせなんだ。
これ以外の場合、どんなことが考えられるか。SCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)とバドル旅団によって、拷問され処刑されてゴミ捨て場に捨てられる、イラク警察に捕まり車の中に置き去りにされて窒息死する、米軍に捕まり行方不明になって、何ヵ月もどこかの米軍拘置所で虐待される、無数にある犯罪集団の一つに誘拐されて、家族から数千万ディナールを奪われるか、命を奪われる。
これで、どうしてムハバラートに拘束されているのがいい知らせなのか、わかったでしょ?
父によれば、ハリドは自分の書いたものかブログのことを何か言っていたという。ぼくたちのブログがハリド誘拐の理由かどうかはわからないけれど、あり得るかもわからない。もしそうならぼくたちは、ぼくたちの政治的理想――反暴力、反占領、対話支持、言論の自由支持などわれわれ家族がいつの世にあってももち続けてきた信念すべてのために闘う。
目下の目標は、ムハバラートに法廷でハリドの容疑は何か(もしそんなものがあるなら)明らかにさせることだ。
どのくらいの効力があるのかはわかりませんが,
Petition onlineにFree Khalid Jarrar Now!!!が立ち上がっています(Deputy Chief of Mission Embassy of Iraq (in the US)宛て,Roey Rosenblithさんが発起人)。名前(ハンドル可)とメールアドレス(非公開)と国名(非公開),郵便番号(非公開)だけで署名できます。在米イラク大使館にメールをしても戻ってきてしまうとのことで立ち上げられたpetitionのようです。
追記:www.thepetitionsite.com当該ページに書かれている英文の意味:
Free Khalid Jarrar Now!!!
ハリード・ジャラールの釈放を求めます
あて先:
ファイズ・アル=ガイラニ氏(イラク大使館参事官/首席公使)
Faiz Al-Gailani Counselor / Deputy Chief of Mission Embassy of Iraq
署名主催者:ローイ・ローゼンブリス
Roey Rosenblith
目標とする署名数:特に定めない
数日前,ハリード(ハリド)・ジャラール(Khalid Jarrar)という名の国際的ブロガーコミュニティの一員が,大学からムハバラト(イラクの諜報機関)によって連行され,その後拘束されています。彼はイラク人ブロガーです。彼のウェブログはhttp://secretsinbaghdad.blogspot.com/ 。
ここに署名するわたしたちは,ハリード・ジャラール氏を拘束した治安部隊が,今すぐにハリードを釈放するよう求めます。そして,自身の見解を表現したということのみを理由としてある個人が拘束されるなどということがいかにしてまかり通るのか,
全面的調査を要求します。アメリカ軍はイラクを占領していますが,わたしたちアメリカ国民は,イラクが個人の権利を守るように行政を行なうことを要求します。
――追記ここまで
Petition Siteで署名をすると,「ようこそ」的なメール(Welcome to the Petition Site)が自動送信されてきます。これは「あなたの署名は加えられました」という確認と,「Petition Siteではこんなことができます」ということなどの書かれたメールです。読まなくても構わないし,放置しておいても特に害はありません。(i.e. ここに登録したメールアドレスにspamが来たなどといったことはありません。私が最初にこのサイトで署名したのは,2001年だったと思います。)
なお,Petition Siteではどっかの馬鹿者どもがspam署名をして喜んでいますが,それはthepetitionsite.comにはいつものことなのであまり気にしないでください。
また,
Give us our Khalid Backというサイト(ウェブログ)も立ち上がっています。ここは
Liminalと
Aunt Najmaが書いてます。それ以上のことはわかりません。
また,
Give us our Khalid Backというサイト(ウェブログ)も立ち上がっています。ここは
Liminalと
Aunt Najmaが書いてます。それ以上のことはわかりません。
この件,ようやく,「書く」ことができました。
なお,私の個人ウェブログである
today's_news_from_uk+は更新しています。
UPDATE「ハリドが救出されるまで」blogを,私ではない別の方が立ち上げてくださいました。
http://blog.goo.ne.jp/raed_2005/彼が戻ってくるまでの期間限定です。
追記(19日)英語が読める方は,Jarrarさんたちのウェブログを読んでみてください。
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
の右コラムに家族3人のウェブログへのリンクがあります。
何か状況に進展・変化があった場合,確実な情報は,Raedが提供することになっています。
あと,Emigreさんという方がもう2年くらい続けているIraq Blog Countが,随時情報をアップデートしています。
http://iraqblogcount.blogspot.com/
それから,Khalidのウェブログなどのコメント欄に「成りすまし」が出現して「もう家に戻った」などという虚偽の内容を投稿しています。
コメント欄の投稿者が「本物」であるかどうかを確認するには,コメント欄の名前をクリックしてください。ユーザー・プロフィールが表示されます。
# http://secretsinbaghdad.blogspot.com/ (Khalidのブログ)と
# http://iraqblogcount.blogspot.com/(Iraq Blog Count)で
# 誰も「ニセモノ」と指摘していない「成りすまし」に私が気づいた場合には,
# 私(bloggerのユーザーネームはnofrillsです)がコメントで指摘しておくようにします。
# 私のユーザー・プロフィールは http://www.blogger.com/profile/3146243 です。

深夜12時を過ぎてから、米国からの電話を受けました。昨日、マーラ・ルジカがバグダードで殺されたとのことでした。その後、友人の
ジャスティン・アレクサンダー(在バグダード)からメールがありました。
マーラの友人のみなさん、同じ仕事をしていたみなさん
バグダードの時間で午後3時から6時の間に、マーラは自動車の衝突で亡くなりました。今、僕の手元にある情報はわずかしかないのですが、自己はバグダードのエアポート・ロードで起きたらしいです。彼女は爆弾で怪我をしたイラク人の子どものところに行く途中でした。彼女のいつもの、この紛争で犠牲となった直接は関係のない人たちをどこの誰であると特定し、サポートする日々の仕事の一環として。
この件には米軍の車列が関係していたのですが、現段階ではどういうかたちで関係していたのかははっきりわかりません。
彼女の同僚のファイーズについては、居場所も健康状態もまったく情報がありません。彼はマーラと一緒に車に乗っていたと僕は思います。
マーラが追悼されること、彼女の仕事が続けられることが重要です。短期的には、マーラの友人たちで、マーラが支援しようとしていたイラク人たちを特定し、助けることができるようにと思ってます。
[...]
マーラは、紛争とは関係がないのに犠牲となった何百万という犠牲者の一人です。けれども、この2年彼女のやってきたことは、「コラテラル・ダメージ」として忘れられることの多い人たちに光を当て、彼らを助けるということでは、他に例のないインパクトを持っていたと、僕は思います。
マーラと僕は、
CIVICでのイラクの調査プロジェクトで組んでいました。上に貼り付けた写真は、1年前にナシリヤで誰かが撮影したもの。僕が写っている背景にマーラが写っています。このときの作業の結果をまとめたものは、
http://civilians.infoにアップしてあります。
Posted by: Raed Jarrar / 10:15 AM
-- original post:
Marla Ruzicka Killed in Baghdad, 17 April 2004
【“マーラ・ルジカがバグダードで殺された (17 April 2005)”の続きを読む】