
2台の自爆自動車爆弾の現場で、損傷を受けた軍用ヘルメットを持つイラク人男性。この自動車爆弾の後に、アブ・グレイブでの衝突が発生した。2005年4月3日
土曜日(2日)の午後7時(GMT午前3時)ごろ、40から60人の反乱者による、組織化されたものと思われる攻撃が(アブ・グレイブ刑務所に対して)あった。まず爆弾を積んだ自動車が2台爆発し、その後RPGや迫撃弾、小火器の銃撃が続いた。
この攻撃は、占領軍に対する1つの攻撃では「今日までで最大数の死傷者」を(またもや)出した。これは、占領イラクでの米軍に対するレジスタンスの攻撃の新たなトレンドを示しているように見える。
この大規模な攻撃は、しっかり要塞化された米軍の拠点に対してあまりない直接攻撃だった。またこれは、サダム・フセイン大統領が2年前に権力から引き摺り下ろされて以来の米軍に対する攻撃の中では、よく整えられたもののひとつでもある。
「最初に彼らは1つの角を攻撃し、米軍にどこから来ているのかと考えさせ、それから別の角を攻撃した」と、拘束施設関連の問題の軍スポークスマンのGuy Rudisill中佐は述べた。「これはよくコーディネートされた攻撃でした。これまで我々が見なかったようなものです。」
Posted by: Raed Jarrar / 1:11 PM
-- original post: Abu Ghraib Prison Attacked: 44 US soldiers Injured, 03 April 2005
翻訳者追記:
4月3日のアブ・グレイブ襲撃については、襲撃された側にいた米兵のメールもあります。
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