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Khalidが語る「こんな状況でした」……その5

その1
その2
その3
その4
その5……この記事

拘束された事情が,拘束された当人の口から語られました。Khalid blogの30日記事より:
http://secretsinbaghdad.blogspot.com/2005/07/i-found-myself.html

とても長いので,何回かに分けて投稿しています。

Saturday, July 30, 2005
2005年7月30日(土)

I found myself...
こんな状況でした

……前の記事(その4)の続き……

僕がムハバラトの拘置所から解放されたのがほかの人たちより早かったのには,家族の尽力が大きな役割を果たしました。腐敗した体制というのはどれでも同じですが,しかるべき人物を知っていて,しかるべき「贈り物」をすれば,待遇は改善されます。ですがうちの家族は僕が潔白であると信じていたので,判事には何も払っていません。弁護士をつけるよう手を尽くしてくれたのです。ですが実際にはそれも実現はできませんでした。僕が釈放されたのは無実潔白だったからであり,また,判事の目の前で自分自身を弁護することができたからです。

でも問題があります――ほかのイラク人たちはどうだろうか,という問題が。あのような場所を出るためのお金も力もない人たちは? 家族や友人知人から引き離され,やってもいない犯罪で告発されている無実の人たちは? 彼らのために立ち上がるのは誰なのか? 人権はどうなっているのか? 市民権(公民権)は? 人道は?

拘置所にいた人たちのことを,こういった事例のサンプルとして,数例書きます。この人たちやその他拘束されているイラク人たちが,安全に家に戻ることを願っています。そして,家族とともに,米国政府やイラク当局に対し,イラク人の拘束という状況を改善するよう要請する取り組みをしていきます。自分の居場所について家族に知らせる権利はあって当然だし,拘束されたら速やかに,尋問や拷問を受けずに,判事の前に出る権利があって当然だし,法廷では本物の弁護士についてもらうのが当然です。少なくとも,自身の嫌疑は知らされて当然です。

フィラス(Firas)の場合:
26歳で色白のこの男性が,野菜などを買った袋を手に持って通りを歩いていたとき,1台の車が米軍車列を攻撃した。当然の反応として彼は逃げ出したが,警察は彼を追尾し捕らえ,いすにしばりつけて7時間連続でパイプで殴打した。彼が米軍やイラク警察を攻撃したと自白しなかったので,捜査官らは,この人物は拷問を耐える訓練を外国のテロリスト・キャンプで受けているに違いないという報告書を書いて,彼をここに送った。ここであればより専門的な尋問官がいると考えてのことだろう。

モハメド(Mohammed)の場合:
肌の色の黒いこの23歳の男性は,非常に貧しいエリアで非常に貧しい伝統的なカフェで働いていて,非常に頭が鈍い。彼は文を組立てることも難しいくらいの知能だ。一応の読み書きの能力はあるが,お茶やコーヒーを出すこと以外にモハメドに期待できることはあまりない。1分も一緒にいれば,彼の中身は6歳児だとわかるだろう。毎日鳥さんが飛んできてお母さんがどうしているか話をしてくれる,と彼は考えている。母親がモハメドの唯一の身寄りだ。尋問の際,彼らはモハメドに「お前,8人殺したのか?」と尋ねた。モハメドはこう答えた――"sayyidi ya 7aras wa6ani ya kharyan istor 3alena"だってさ,笑っちゃうよね。(これは「僕? 国家警備隊なんか殺してない,そんなことしてるわけがないでしょう,面倒なことに巻き込まないで」という意味で,英語にすれば【訳注:そしてそれを日本語にすれば】意味は通るのだけれど,アラビア語では何ともおかしくて,これを聞けばそれだけでこいつ正気じゃないなと思える。)

彼の働いているカフェのオーナーが,ドラッグでハイになった状態で,モハメドは警官4人と国家警備隊員4人を殺したと通報した。【そして彼は逮捕された。】

8人を殺した容疑のかかっているモハメドを,僕たちは「モハメド・ザ・ウルフ(狼のモハメド)」と呼んでいた。ははは。少なくとも僕が釈放されるまではこれが彼のニックネームになっていた。

彼がどうなるかは神のみぞ知る,だ。

モハメドの場合,ひとりの人間を投獄するのに必要だったことといえば,匿名で電話をかけてこいつはテロリストですと主張するだけ,それで一件落着,そいつは拷問され45日間投獄される。そして「密告者」はこの期間に法廷に出て,間違いありません,この人物はテロリストですと言うだけでまたまた一件落着する,そいつは法的にテロリズムで起訴され,その先死ぬまで獄中で暮らすか,あるいは処刑されるかもしれない。あるいは釈放されるかもしれない。それを決めるのはひとえに判事にかかっている。あるいはCIAに――後で知ったのだが,CIAは同じ建物の上の階を使っていて,そこから命令が来る。

マイサムとナソム(Maysam and Nathom)の場合:
20代の兄弟で非常に貧しいが,目を見張るくらいの美形だ。もしアラブ版ハリウッドがあれば,この兄弟はきっとトム・クルーズとブラッド・ピットになってるだろう。

投獄されている間,僕は2度泣いた。1度はナソムが尋問を終えてトイレに来たときだ。僕はトイレに入っていたのだが,彼が激しく泣き始め,あいつらがあんまりひどく殴るから,兄が300人殺して車も何台も盗んだと言わざるを得なかった,と言った。

ナソムがトイレに入ってきたのは,かれらがマイサムにこれらの犯罪を自白させるために拷問し始めたときだった。僕は房に戻り,数分間泣いた。ひどすぎる。あまりにアンフェアじゃないか。

その夜,僕たちはそれをネタにジョークを言った。僕たちはみんな「テロリズムの専門家」ってことになっているよね,1本の刀で50人まで殺せるよね,とあらば,マイサムはどんだけ刀を使ったんだろう,それともチェーンソーでも使ったのか? じゃなければ自分の手で300人を殺せる人間なんかいるものか,って。

そう,僕たちは,拘置所で,そんなジョークを言った。こんなに馬鹿げた状況であれば,ジョークにすることを覚えてしまう。

尋問官はナソムに「じゃああいつは300人殺したんだな?」と言った。
「はい,その通りです」とナソムは答えた。尋問官は供述を書き取った。
「で,オペルの車を盗んだんだな?」
「はい,その通りです。」
「黄色いやつか?」
「はい,その通りです。」
すると尋問官はペンを置き,「きさま,この大嘘つき,戦争以来2年以上になるが,俺は黄色いオペルなんか一度も見たことがないぞ」。
(これは本当。どういうわけか,イラクにあるオペルはグレーばっかりで,中には黒とか青のもないことはないが,いずれにしても黄色のは皆無!)

ナソムは逆さまにぶら下げられて殴打され,そういう尋問が行なわれた。

僕は釈放されたが,彼ら兄弟はまだ獄中だ。

アブー・カマル(Abo Kamal)とその甥たちの場合:
アブー・カマルはある部族のシャイフである。友人と夕食の約束をし,よく知られている警察署の前で待ち合わせをすることにした。アブー・カマルと甥たちは,ハザードランプを4つ点灯させ,車内の明かりもつけて,警察署の正面の路肩に停車した車の中で,友人を待っていた。すると警察署から数名の警官が出てきて彼らを逮捕し,男性を1人殺害した容疑をかけた。僕が釈放されるまで,アブー・カマルは殺害された男性の名前も,いつどのように殺害されたのかも言われていなかった。甥たちも同様。

アブー・アイイド(Abo Ayid)の場合:
湾岸地域などでは,人を「アブー・某」と呼ぶ場合の「アブー」は「~の父親」という意味ということはご存知ですよね。例えばうちの父の場合は長男のライードの名前を使って「アブー・ライード」となります。長男の名前がジェームズだったら,「アブー・ジェームズ」です。
ここまでよろしいですか?

アブー・アイイドというのは,ごくまれに,結婚して長く経つのに,何らかの理由で子どもがいない人を呼ぶときにも用いられるニックネーム。というのは,人を名前で呼ぶのは礼儀にかなったことではなく,「アブー・某」と呼ぶのが正式で敬意のある態度だから。だから,子どものいない男性のことは,「アブー・アイイド」と呼んでください。
ここまでよろしいですか?

アブー・アイイドは投獄されて3ヶ月になる。彼は何度も拷問されていて,手の指の爪ははがされ,足の指先は砕かれている。誰かが,「アブー・アイイド」という名前はテロリストの名前みたいに聞こえると思ったから,彼はひどく殴られた。テロ集団のリーダーかもしれない,とにかくそう聞こえる,だから拷問した,自白するまで解放しない,グループのほかのメンバーの名前を言え,資金源を吐け,などなど……。

カソム(Kathom)の場合:
肌の色の黒い40代のこの男性は,夜遅く,政府系の建物のところを通り過ぎた。彼は酔っ払っていた。しばらくしてその建物の中で爆発があり,警察は建物から遠くないところを歩いていた彼を捕まえた。そして,言うまでもないことだが,彼を丁重に扱いはしなかった。

……などなど,悲しい話はたくさんあります。馬鹿げているから悲しい。フェアじゃないから悲しい。

誰か新入りが来るといつでも,僕は胃がムカムカしてきました。これはおかしなことで,それでも毎日,次々と誰かの上にこのおかしなことが起きている。

拘置所にいたうちの1人のムサイドは,拘置されて50日くらいになっていたけれど,何も言葉を発さず,誰とも口をききませんでした。ムサイドがしゃべろうとしないから,誰も彼の容疑を知らない。そして,これは僕が自分の目で見たのでなければ言わないことですが,ムサイドは40日以上にもわたって何も食べていない。僕たちは同じ場所で寝起きしていたからそういったことはずっと見ていられるのですが,房の人たちは彼を見ては何とか食べさせようとしたけれども,彼の答えといえば,「何も食べたくない」だけでした。
僕の頭がどうにかなったんじゃない,本当のことです,ムサイドは水を飲むだけでした。

yama fissign mazaleemということが,ほんとにわかりました――これはエジプトの格言で,獄中にある人の多くは実は潔白なのだ,という意味です。

自由の価値というものもわかりました。今は,窓から外を見たり,通りを歩いたりといったことだけでも非常におもしろい。自由に感謝するようになりました。

神様,どうかあのような大きな不正義のもとにある人々をみな解放し,家族や友人たちのもとに返してください。私たちは,必ずそうなるよう,私たちにできることをします。これを読んでいるあなたの助け,人権団体からの法的な助けや支援も大いに感謝しお受けしたいと思います。逮捕されている人々,占領されているイラクで毎日逮捕されつつある人々にいくらかの権利を得るために,私たちにできることはすべてやらなければならないのです。

posted by khalid jarrar at 5:46 PM

日本語化担当者注:「モハメド」という青年についての説明の箇所は,ブラウザで読みやすくなるよう改行を加え,また,日本語で読んだときにすっとわかるように,多少文章の順番を入れ替えました。

また,この記事の投稿時刻は「2005/08/01(月) 07:58:15」となっていますが,実際に中身を全部入れることができたのは,2日の午前7時50分ごろです。作業に時間がかかりましてすみません。
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今週号のFRIDAYに,フリージャーナリストの志葉玲さんが執筆した記事が掲載されている。92~93ページ。手に取ったら,後ろからめくっていくとすぐに見つけられる。→シバレイさんのウェブログの当該記事記事は,見出しと小さめの写真(PEACE ONの相澤さん撮影)を含めて1ペ

  • 2005/10/08(土) 14:53:26 |
  • Falluja, April 2004 - the book