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Khalidが語る「こんな状況でした」……その4

拘束された事情が,拘束された当人の口から語られました。Khalid blogの30日記事より:
http://secretsinbaghdad.blogspot.com/2005/07/i-found-myself.html

とても長いので,何回かに分けて投稿しています。
その1
その2
その3
その4……この記事
その5

Saturday, July 30, 2005
2005年7月30日(土)

I found myself...
こんな状況でした

……前の記事(その3)の続き……

ムハバラト(秘密警察)に直接連行された僕はとても幸運でした。通常はムハバラトに連行されるには,警察署や国家警備隊のセンターを経由しなければならないのですが,そこでは標準的な拷問のプロシージャというのがあります。逆さ吊りにして何時間にもわたって電気コードで殴打する,電気ドリルで身体を傷つける,熱湯を浴びせ火傷を負わせる,手の指の爪を剥ぐ,骨を折る,鞭打った後で傷口に酸をつける,など。バグダードのゴミ捨て場で発見される死体には,目玉をくり抜かれたものすらあります。こういったことは何度も僕の知っている人に起きてきたし,僕と同じ房に拘置されていた人たちと一緒に拘束された人に起きた。同じ房に拘置されていた人たちはここに連行される前にこういった目にあっていた。拷問テクニックを列挙すれば長いリストになりますが,夜ちゃんと眠りたければみなさんはそれを聞きたくはないだろうし知りたくもないでしょう。

同じ建物の別のフロアに別の拘置所があります。そっちの方が規模が大きく,「あたたかなもてなしの城」と呼ばれています。(これを聞いて『1984年』のことを思い出しませんか? 「愛の省」とかいろいろありましたよね?【訳注:ジョージ・オーウェルの『1984年』。とりあえずwikipedia参照】)そこでは最近,ある父子が逮捕され,息子は夜の間に死にました。殴打され肋骨が折れていたところに身体に熱湯を浴びせられていた彼は,夜の間じゅう苦悶のうめき声を上げていた,そして死んだ,とアブー・アイイド【訳注:「アイイドの父」の意味】は話しました――私はうめいている息子の隣で眠った,と。アブー・アイイドについては後でもっと詳しく書きます。

拘置所の房にいた人に共通していたのは,スンニ派であるということです。ほとんど全員がスンニ派でした。尋問担当者は尋問の最中に被拘束者のひとりに対して「きさまらスンニ派は全員テロリストだ」と言いました。僕の尋問のときには,何度も人種差別的な言辞や質問がありました。シーア派イラク人で拘束されていた人たちのほとんどが,テロリズムではない犯罪を犯したとの嫌疑でした――窃盗,カージャックなど。

ところで拘置所での時間の過ごし方ですが……ご説明しましょう。

よくクルアーンを読みました。お祈りは1日に5回。食事は1日に3回。長い時間をかけて神を讃えることもしました。みなで座って話をし,ジョークを言ったり日常生活について話したり……。

夜になると,眠ろうとする一方で考え事をしていました――次のウェブログの更新では何を書こうかなと。

僕は常に,いつかは出られるという希望を持っていました。時間が過ぎるのは本当に遅かった。悲しい気分になると,ここを出たら行きたいなあなんていろいろな場所のことを考えたり,あるいは自分の気持ちを沈ませないようなポジティヴなことを考えたりしていました。みんなにも訊きました。「ここを出たらまず最初に何をしたい?」って。そして,自分のしたいことについてあれこれ考えていたわけです……食べたいもの,行きたい場所など。これは希望をつくるゲームでした。

……その5(未完成)に続く
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