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Khalidが語る「こんな状況でした」……その2

拘束された事情が,拘束された当人の口から語られました。Khalid blogの30日記事より:
http://secretsinbaghdad.blogspot.com/2005/07/i-found-myself.html

とても長いので,何回かに分けて投稿しています。
その1
その2……この記事
その3
その4
その5


Saturday, July 30, 2005
2005年7月30日(土)

I found myself...
こんな状況でした

……前の記事の続き……

数時間後,ようやく,連行された理由がわかりました。大学の警備員が,僕がネットカフェで閲覧していたウェブサイトをすべてプリントアウトしていました。彼らは僕に「テロリズムのサイトを読んでいる」「外国人テロリストと連絡を取っている」との嫌疑を抱いていたのです。

「このページは何だ?」
差し出された紙を見ると,何と,兄のウェブログのコメント欄じゃないですか!!
僕は大学のネットカフェで閲覧しているときに,コメント欄を開いて,いくつかのコメントを読みました。でも投稿はしていない。しかしここの人たちはネットが何なのかをわかってないようで,それに英語もわかりません。というわけで,ひょっとしたら僕はアル=ザルカウィのアシスタントという重大な嫌疑をかけられていたのかも! あるいは自分自身のテロ集団を持っているとか……外国とのつながりもあるし!

僕はテロリズムの嫌疑をかけられました。彼らは,僕が彼らに協力していないから,自分自身を救おうとしていないと判断し,僕を拘置所送りにしました。
「協力って何を?」と僕は言いました。「お尋ねになっていることには積極的に答えているじゃないですか,何を知りたいのかピンポイントで言ってくださいよ」
「お前のグループのメンバーの名前を言いなさい。それから資金源についても」と彼らは言いました。

拘置所に入ると,中の人たちが興味深げに僕をじっと見詰めていました。でもまったく押し黙ったままで。
「どうもこんにちは!」と僕はにっこり笑って言い,ほかのみんなと同じように床に座りました。
「どうもこんにちは!」とみんなが言いました。
そのうちにひとりがついに我慢できなくなってこう尋ねてきました。「で,あなたはどうしてここに?」
僕は事情を話しました。みながそれはひどいという印象を受けたようでした。
その後の数分間で,ほかの人たちの話を聞きました。

と突然,思い浮かんだことがありました。「ここはどこなんでしょう?」と僕は教えてほしいなぁという調子で尋ねました。
全員が,ちょっとびくついた様子でした。彼らはここがどこかを知っているのだけれど,それを僕に言っても大丈夫だと思うところまでは行っていないのだと思いました。何しろまだ,ここに来て数分程度です。

するとある人が僕の耳にそっとひそひそと言いました。「イスティハバラット・イル・ダッカリヤ(istikhbarat il dakhliyya)……だけど私たちがそれを知っているということは誰にも言っちゃいけないよ。」『イスティハバラット・イル・ダッカリヤ』というのはつまりムハバラトという意味です。つまり諜報機関,秘密警察。
「うわっ」と僕は言いました。「ご家族はあなたがここにいることをご存知なのですか?」
彼らは頭を振って答えました――答えはNO。

部屋にはだいたい35人がいました。このフロアで逮捕されている人のうち4人は10代でした。後の方で彼らの事情のいくつかを書きます。

その日のうちにほとんど全員と仲良くなり,それから眠りました。長い一日でした。家族のことがとても心配でした。僕は自動車爆弾で殺されたのでもなければ誘拐されたのでもないと知らせることがどうしたらできるだろう? まさか家を抜け出して友だちとパーティに出かけたとか,サーカスに入ったとか思ってるわけはないし。

翌日,再び尋問室に連れて行かれました。

誰にでも訊けるようなありとあらゆる質問がされましたが,尋問は非常に迅速に行なわれました。彼らは僕の先生や友人の名前を書き留め,同級生や同じクラスの女子学生の名前も書きました。これまでにセックスしたことがあるかとも訊かれました。ありませんと答えましたが彼らは本当だとは思わず,それをネタに僕をからかって,女より男の方がいいのかとか訊きました。これにもいいえと答えました。

それから彼らは,最後に「供述書」を書けと言いました。この書類が判事のところに行って,僕の運命を決めるのです。

尋問係は言いました。「お前はテロリスト・サイトに参加していた容疑がある。(彼は,僕の見ていたサイトは若い人たちをテロリズムにリクルートするサイトだと言っていたんだったか? 覚えていません。)この点,どうだ?」

僕は目隠しをされた状態で言いました。「答えを言いますから書き取ってください。『完全に否認します。私は,世界中の国々から人々が訪れて意見を述べるウェブサイトで,ある特定のトピックに関して寄せられた人々の意見を閲覧するという民主的権利を行使していました。』」

尋問係は言いました。「それは一体何の話だ? 俺は作文をしてくださいと言ったか? え? 質問に答えやがれこの野郎! お前の容疑は,テロリストのウェブサイトを訪問していたことだ,答えは?」

僕は答えを繰り返しましたが,彼の頭でも理解できるように,もう少しシンプルな言い方で言い直しました。彼らは何かを書いて,僕に署名させました。

彼らの中に高校を終えた人がいるのかどうかもわかりません。粗野だし,倫理観も教育もない。しじゅう汚い罵り言葉を使っていて,それを聞けばどういう種類の人間なのかがわかります。僕が逮捕されたときに身に着けていたものについて彼らに尋ねましたが,携帯電話やIDは持っている,ということでした。しかし例の太った警察官が僕の眼鏡を壊し,お金もいくらか盗みました。この時点でも,携帯電話とIDは返却されていませんでした。

彼らは英語ができないから,ウェブサイトの内容についても一度たりとも聞かなかった――このサイトを読んだことが,僕の唯一の罪なのに。

3日目,僕は家族に,生きていて,内務省の7階にいるからと連絡を取る方法を知りました――「違法に」ですが。その頃までには,父がバグダードのすべての病院と警察署と死体置き場を確認していました。父はイラク軍にもイラクの民兵組織にも米軍にも確認し,内務省にさえも確認したのですが,内務省は僕がそこにいることを否定していたのです!

家族が僕の居場所を知ったということがわかると,非常に安心しました。健康状態は良好,食事もちゃんと取っているし,睡眠も大丈夫,それに誰も僕たちを傷つけていない,と僕は家族に伝えました。

……【次の記事(その3)へ続く】
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