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http://raedinthemiddle.blogspot.com/の日本語化。コメント欄はなし、トラックバックはオープン。Raedへのメールは彼のウェブログからどうぞ。

Khalidが語る「こんな状況でした」……その1

拘束された事情が,拘束された当人の口から語られました。Khalid blogの30日記事より:
http://secretsinbaghdad.blogspot.com/2005/07/i-found-myself.html

とても長いので,何回かに分けて投稿します。
その1……この記事
その2
その3
その4
その5


Saturday, July 30, 2005
2005年7月30日(土)

I found myself...
こんな状況でした

寝る場所はお墓くらいの大きさのスペース。頭も足も壁に接していて,左右どちら側にも人間の身体が接している。つまり長い長い夜の間,ほとんど動くこともできない。12フィート(およそ4メートル)四方の部屋に35人が詰め込まれて,眠ろうと努力している。そしてケンカにならないよう身体をじっとちぢこめている。

すべての始まりは学費を納めに大学に行ったときのことでした。工学部のキャンパスは大学のほかの学部のあるメインのキャンパスから数キロ離れています。そういう学校運営サイドの問題のために,学生は本部まで行かなければならず,僕もそうしたわけです。メインのキャンパスに入って,学費を払おうと会計課に行き,あれこれと書類の記入を始めました。責任者の署名があれば書類作業が完成というところまで来たのですが,責任者は会議中。会計課のスタッフは,会議が終わるまでの1時間をキャンパスで適当に時間をつぶしていてほしいと僕に言う。そこで僕は時間をつぶそうと。

こういう場合,あなたならどうします? カフェに行く? 僕もそれはやってみた。けれど15分もしないうちに完全に飽きてしまった。で,どうやって頭の中に電球がともるみたいにひらめいたのかは覚えていないけれど,とにかくこれを思いついた――ネット! ネット以上に時間つぶしに適するものなんかないでしょう?

そういえばキャンパスの中にネットカフェがあったなあと思い出しました。この5年間というもの,こっちのキャンパスに来ることはめったになくて,来たのは3回か4回くらいだったと思う。ともあれ,そのネットカフェに行って,いつもの巡回を始めました。Raed in the Middle【訳注:おにいちゃんのウェブログ】,Riverbend【訳注:バグダードの女性のウェブログ】などなど……そうこうするうちにまた飽きてきたので,ネットカフェを出て,会計課に向かったのです。

その途中で,年をとった男性に呼び止められました。不快な顔つきをしていました。その人は「何かご用でも?」と言うのですが,僕はびっくりして「何かご用でも?って?」と返しました。その男性は「どこに行くんです?」と言いました。僕は,ああこの人は警備の人なんだろうなと思いました。でも声の調子から判断すべきだった,この男性は典型的なサダム政権下の警備員のようにしゃべっていた。
「会計課に学費を納めに」と僕は答えました。
「で,今までどこにいたんです?」
「インターネット・カフェに。」
「IDは?」
「大学の受付に預けてきてます,携帯電話と一緒に。」(これは現在普通のことです。すべての政府系の建物では個人の携帯電話は受付に預けなければならない。内部への持込禁止なんです。)

お読みのみなさんへ――こんなことを訊かれるからってくらいで驚かないでください。これは「サダムのイラク」では非常によくあることでした。そして今のイラクでも非常によくあることなんです。

ともあれ,この不快な顔つきをした男性は,僕が本当のことを言っていると確認するために,会計課まで付き添ってきました。会計課のオフィスに入ると同時に課のスタッフが僕に声をかけたので,男性も,僕が前にここに来たのだと理解して出てゆきました。僕はお金を払い,受領証を受け取って,会計課を出ました。が,キャンパスの受付に戻って携帯電話を受け取って帰ろうとすると,携帯電話の棚がロックされています――「誤ってロックされた」という説明でした。大学の受付ではその棚の鍵を持っている人を待っていました。「すぐに来ます」といわれました。

というわけで,僕の携帯が解放されるのを座って待っていたのですが,数分後,突然,誰かが来て言うのです。「拘束された男はどこだ?」って。

別の警備員が指差したのは僕!!!

僕はこう言いました。「えっと……何か誤解があるようですが,僕は拘束されてません。預けた携帯電話の入ってる棚が誤って鍵をかけられてしまっているだけです。」

「一緒に来てもらおうか。いくつか確認したいのでね」と彼らは言います。だから僕も同行しました。頭の中で答えを探しながら……。

彼らは僕の所持品検査を入念にやりました。靴を脱がせ,靴の中も調べました。腕時計まで取り外したくらいです。ポケットに入っていた紙切れはすべて読まれました。それから僕の出自や国籍などたくさんのことについての質問がありました。それから,携帯電話のロック機能を外して中身をチェックさせなさいと言いました。この時点でもう十分だろうと思っていたので,僕は,いやだ,このキャンパスのどこかにいて,メッセンジャーにこういう質問をさせている「誰か」の前じゃなければロック機能は外さない,と言いました。

この反応がいけなかった。

しばらくして別の男性がやってきて,「ネットで誰と連絡を取った?」と訊きました。
「母や兄弟と」と答えました。
そんな答えでは納得しなかったようです。
「拘束しろ」とその男性は言いました。

そしてどうなったかというと,とても太った警察官がひとり,その小さな部屋に入ってきて,壁に向かって立てと言い,また僕の所持品検査をし,僕のお金と眼鏡を取って,頭に袋をかぶせて手錠をかけました(僕の手にはまだ痕が残っています)。後ろ手にされて頭に袋をかぶされた状態の僕を,警察官は走らせました。だいたい1分くらい。到着した先は警察の車で,僕は強制的に乗せられました。車は動き出しましたが,行き先はわかりません……。

途中で僕が耳にした汚い罵り言葉に興味がある人はいないでしょうが,誰も僕を殴らなかったということはみなさんが知りたいところでしょう。

豪華な建物に――床の大理石を見てそう思いました――到着しました。このときに見えたのは床だけです。頭にかぶせられた袋と鼻の間のごくごくわずかなスペースから見えたのです。それからエレベーターに乗せられて,ある部屋に連れて行かれました。

すぐに拷問室に連れて行かれるかもしれないと思っていました。誰か話のできる人を見つけて,これはほんとにちょっとした,ばかげた間違いなのだと説明できれば,と祈っていました。

神が祈りに答えてくださいました。

地下の牢獄に連れて行かれるのではなく,たくさんの人がいるエアコンの効いた部屋に連れて行かれました。耳に入ってくる声から,彼らは誰かを尋問しているのだなとわかりました。この段階でも何も見えなかったけれど,手錠は外されました。

彼らが尋問している人物は(あとで名前を知ったのですが,サイーブという人でした。同じ部屋に入れられていました),非常に恐ろしいことをしていました。サイーブは内務省に行き,省の高官の事務室へ行き,ずっと昔にこの高官と一緒に使えたサイーブのお父さんのことを,この高官に思い出してもらって,どうか良いように取り計らってくださいと頼もうとしたのです。彼が頼んだのは,警官をしている友人を,別の州に転属させてほしいということでした。

内務省の高官はサイーブのお父さんのことを思い出さず,助けることはできないと言いました。そして警備員に,サイーブを尋問するよう命令したのです!!!

僕は結局は拘置所から出たけれど,サイーブはまだ拘置されていました。

彼らはサイーブを何度も殴り,「あんなふうに役人の事務所に入っていくとは,大したもんだ」などと言ったそうです。

エアコンの効いた尋問室に話を戻します。僕はまだ壁を向いていて,何も見えないようにされていたのですが,頭は絶好調で動いていて,目の前の暗闇の向こうを見ようとしていました。

僕の尋問の番になりました。:))

「ついにきた!」と僕は思いました。

彼らは僕に尋ねました。「お前はロンドンの爆弾とどういう関係がある?」
「はぁぁぁぁ???!!」って感じですよ。
「ロンドンの爆弾???! 何もないです!」と答えました。

ガツン!!

首に重い手が下ろされましたが,僕の頭は考え事でいっぱいいっぱいで,痛みは感じませんでした。しばらくのあいだ,首がびりびりしていました。

「吐けぇっ」と男は言いました。

「こっちを向け」と怒鳴りました。

僕は向きを変え,壁ではなく部屋の方に向かいましたが,見えたのは自分の鼻と僕を尋問している人物の靴だけ。彼は至近距離に立っていました。

「お前,ひげを生やしているな。なぜだ?」と彼は訊きました。

「預言者が……」(預言者ムハンマドもひげを生やしていて,それがかっこいいと思うから……と言いたかったのですが最後まで言わないうちに)

バシン!!

彼は僕の顔に平手を食らわせました。とても大きな音がしたので,しばらくの間,部屋は何も物音がしなくなりました……。

「罰当たりめが(May the prophet curse you)」と彼は怒鳴りました。

ここでも,僕の脳は痛覚信号には反応しませんでした。痛みは感じませんでした。

その後数時間,彼らは僕に次々と質問をしました。「お前らのテロリスト・セルのメンバーにはほかに誰がいる? 資金はどこから来ている? どういう作戦をやってきた?」

「お前,シーア派に文句があるだろう?」
「ないですよ,うちの母はシーア派です」と僕は言いました。

「クルド人に文句があるだろう? 自爆してクルド人を殺したいんじゃないのか?」
「クルアーンでは神は……」(クルアーンにある,罪のないものを殺してはならぬと神が命じている箇所を述べようとしたのですが……)

彼は途中でさえぎって,「クルアーンのことなら我々はお前よりよく知っている」と大声で怒鳴りました。
「僕の親友はクルド人です!」と僕は言いました。
「そうだろうそうだろう,それでお前はクルド人についての情報には困らないわけだな」と彼は答えました。

僕が何を言っても彼らには通じない。彼らが何を言っても,世界の誰にもわからないでしょうけれど。

数時間後,ようやく,連行された理由がわかりました。大学の警備員が,僕がネットカフェで閲覧していたウェブサイトをすべてプリントアウトしていました。彼らは僕に「テロリズムのサイトを読んでいる」「外国人テロリストと連絡を取っている」との嫌疑を抱いていたのです。

「このページは何だ?」
差し出された紙を見ると,何と,兄のウェブログのコメント欄じゃないですか!!


*すいません。パラグラフの途中ですが,ここであまりに気が抜けたのでちょっと小休止します。続きは次の記事でどうぞ。
Raed blogのコメント欄は誰にでもオープンで,つまり誰でも投稿できるのですが,中には日々の重要ニュースのクリッピングを彼のウェブログのコメント欄で公開しているような「名無しさん」もいるし(これはけっこう参考になるのですけど),Raedのことを罵ることしかオンラインでやることがなさそうな「J某」という名の“変態”も出没するし(この人物,Raedの彼女のNikiのウェブログのコメント欄でストーキングをしていたので個人的に「変態」認定しました。客観事実では必ずしもありません),それ以外にも,米国の左派と右派が果てしなく同じ激論を交わしていたり(けっこうまともな議論になることもある),とにかく「Raedはテロリズムをサポートしている」と一方的に書くだけのコメントがあったり,などなどで,1つの記事のコメント数が500とか600になることも珍しくありません。その中に「テロリスト」とか「アル=ザルカウィ」とか「自爆」とかが出てくることは日常茶飯事ですが――ニュース記事の引用から罵りまで,さまざまな文脈で――,だから何だ,と本当にもう,脱力。。。
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