
昨日,サダムの裁判についてのこの記事を読んでびっくりしました。
サダム・フセインが米国に身柄を拘束されて19ヶ月以上が経つが,ようやく初公判が開かれる運びとなった。初公判では,1982年にドゥジャイル(Dujail)のサダム・フセイン暗殺未遂事件現場で起きた150人の殺害事件が中心となる。
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バグダードで高校に通っていたころ,僕はサダムが失墜する日のことを夢見ていた。サダムが権力の座から去ることは,僕の夢のひとつだった。1980年代初めにサダムが権力を握ってから数々の無責任かつ攻撃的な決定を為したわけだが,僕はその背後の秘密をすべて知りたいと思っていた。
米国政府は,サダムをはじめとする旧政権最上層部を,1つの罪状で起訴する考えのようだ。そう,たった1つ――サダムの生命を狙った暗殺未遂計画の後で,ドゥジャイルで発生した158人の処刑。そして,もし有罪となれば,サダムは処刑される。
もちろん,この事件で処刑された158人の方々とそのご遺族には哀悼の意を表するが,この事件は,サダム時代に行なわれたほかのひどい出来事と比べたら,小さなものだ。8年間も続き,何十万というイラク人・イラン人を殺し,また傷つけたイランに対する戦争(うちの親戚でも多くの人がこの戦争の間に死んだり負傷したりした),イラクのクルド人に対する残忍な政策(僕にはクルド人の友人がいるが,彼らの中には家族が追放されたり殺害されたりしている),イラン系のイラク人に対する残忍な政策(うちの母のおじが,何ら犯罪を犯してもいないのに,国外追放になっている),反対党のメンバーを無慈悲に暗殺したこと(僕の従兄弟のひとりのように――彼はシーア派のダアワ党のメンバーで,そのために,家族の目の前で殺された),愚かにもクウェートに攻撃を仕掛け,湾岸地域にかろうじて残っていた汎アラブ主義を根絶したこと(クウェートには僕のおじが2人住んでいたが,激しい攻撃の後,クウェートから去ることになった),1991年の〔シーア派の〕蜂起の後,イラク南部でイラク人を大量に殺したこと,などなど,大きな災厄はいくらでもある。
米国政府はイラク人に真実を知らせたいとは考えていない。サダムがイラク人に本当のことを教えることはないだろう。歴史的に支援され,正当であるとの根拠を与えられ,米国によって隠蔽されてきたサダムの犯罪の秘密は,米国もサダムも,守り抜くだろう。
僕はバグダードが陥落する何年も前から,占領戦争に反対してきた。それは僕がサダムを好きだったからではなく(→日本語),こうなることが見えていたからだ。「解放」から2年が経過して,米国は大量破壊兵器はまったく見つけていないし,サダムは彼の秘密を一切語っていない。そしてイラクは燃え上がっている。
米国政府は処刑されたサダムの死体を,すべての秘密と一緒に埋めるだろう。僕たちがその秘密を知ることは予定されていない。軍事的支援(イランの反米的政府に対するイラクの戦争への無制限の支援のような),汚い政治的取引(サダムのクウェート攻撃に青信号を出したこと,またその後,1991年の南部での革命を叩き潰す許可を,サフワン*のイラク政府に書面で出したことといった取引),イラクに販売された化学兵器(前線でイラン人に対して用いられたものや,イラク北部のクルド人に対して用いられたもののような),その他もろもろの政治的・経済的な秘密の取引,それらすべてが知られることなく埋められるだろう。
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イラクからは何も知らせはありません。イラク全土の何千という政治囚とそのご家族すべての胸中に思いを馳せています。
訳注:サフワン(Safwan)はイラクとクウェートの国境。参考@globarsecurity.org。
-- original post: Saddam, The US, and their Victims, Monday, July 18, 2005, posted by Raed Jarrar @ 8:32 PM
※日本語訳の文は暫定です。うまくできているとは到底思えません。(いつものことですが。)
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