http://raedinthemiddle.blogspot.com/2005/07/khalids-campaign-for-rights-of-iraqi.html

弟のハリードが自身のウェブログに本当に長い記事をアップしました。拘束された経験について書いたものです。【→日本語化済:ファイルは5つに分けてあります。その1,その2,その3,その4,その5】
彼らは僕に尋ねました。「お前はロンドンの爆弾とどういう関係がある?」
「はぁぁぁぁ???!!」って感じですよ。
「ロンドンの爆弾???! 何もないです!」と答えました。
ガツン!!
首に重い手が下ろされましたが,僕の頭は考え事でいっぱいいっぱいで,痛みは感じませんでした。しばらくのあいだ,首がびりびりしていました。
「吐けぇっ」と男は言いました。
「こっちを向け」と怒鳴りました。
僕は向きを変え,壁ではなく部屋の方に向かいましたが,見えたのは自分の鼻と僕を尋問している人物の靴だけ。彼は至近距離に立っていました。
「お前,ひげを生やしているな。なぜだ?」と彼は訊きました。
「預言者が……」(預言者ムハンマドもひげを生やしていて,それがかっこいいと思うから……と言いたかったのですが最後まで言わないうちに)
バシン!!
彼は僕の顔に平手を食らわせました。とても大きな音がしたので,しばらくの間,部屋は何も物音がしなくなりました……。
「罰当たりめが(May the prophet curse you)」と彼は怒鳴りました。
弟は今では安全です。けれども彼は,イラク国内各地の拘置所や刑務所にいる数千という数のイラク人のことを忘れていない……
でも問題があります――ほかのイラク人たちはどうだろうか,という問題が。あのような場所を出るためのお金も力もない人たちは? 家族や友人知人から引き離され,やってもいない犯罪で告発されている無実の人たちは? 彼らのために立ち上がるのは誰なのか? 人権はどうなっているのか? 市民権(公民権)は? 人道は?
拘置所にいた人たちのことを,こういった事例のサンプルとして,数例書きます。この人たちやその他拘束されているイラク人たちが,安全に家に戻ることを願っています。そして,家族とともに,米国政府やイラク当局に対し,イラク人の拘束という状況を改善するよう要請する取り組みをしていきます。自分の居場所について家族に知らせる権利はあって当然だし,拘束されたら速やかに,尋問や拷問を受けずに,判事の前に出る権利があって当然だし,法廷では本物の弁護士についてもらうのが当然です。少なくとも,自身の嫌疑は知らされて当然です。
ハリードのキャンペーンの要点は次の3点。
1)拘束された人は,自分がどこにいるのかを家族に知らせる権利を有するべきである。
2)拘束された人は,拷問されたりはずかしめられたりすることなく,拘束されてから48時間以内に,判事の前に出る権利を有するべきである。
3)拘束された人は,法廷において,本物の弁護士を立てる権利を有するべきである。
僕としては,連絡を取るのに適した人たちを探し,その人たちの連絡先などの情報を,次の投稿で書くようにしたいと思います。何かアイディアがある方は,コメント欄に投稿してください。よろしくお願いします。
Posted By Raed Jarrar at 1:01 AM
※最後の「コメント欄」のリンク先は,Raed blogのコメント欄です。コメント欄は……ええと,600件を超えています。
【“収容されているイラク人の権利を求めるハリードのキャンペーン(31 July 2005)”の続きを読む】

昨日,サダムの裁判についてのこの記事を読んでびっくりしました。
サダム・フセインが米国に身柄を拘束されて19ヶ月以上が経つが,ようやく初公判が開かれる運びとなった。初公判では,1982年にドゥジャイル(Dujail)のサダム・フセイン暗殺未遂事件現場で起きた150人の殺害事件が中心となる。
-- source
バグダードで高校に通っていたころ,僕はサダムが失墜する日のことを夢見ていた。サダムが権力の座から去ることは,僕の夢のひとつだった。1980年代初めにサダムが権力を握ってから数々の無責任かつ攻撃的な決定を為したわけだが,僕はその背後の秘密をすべて知りたいと思っていた。
米国政府は,サダムをはじめとする旧政権最上層部を,1つの罪状で起訴する考えのようだ。そう,たった1つ――サダムの生命を狙った暗殺未遂計画の後で,ドゥジャイルで発生した158人の処刑。そして,もし有罪となれば,サダムは処刑される。
もちろん,この事件で処刑された158人の方々とそのご遺族には哀悼の意を表するが,この事件は,サダム時代に行なわれたほかのひどい出来事と比べたら,小さなものだ。8年間も続き,何十万というイラク人・イラン人を殺し,また傷つけたイランに対する戦争(うちの親戚でも多くの人がこの戦争の間に死んだり負傷したりした),イラクのクルド人に対する残忍な政策(僕にはクルド人の友人がいるが,彼らの中には家族が追放されたり殺害されたりしている),イラン系のイラク人に対する残忍な政策(うちの母のおじが,何ら犯罪を犯してもいないのに,国外追放になっている),反対党のメンバーを無慈悲に暗殺したこと(僕の従兄弟のひとりのように――彼はシーア派のダアワ党のメンバーで,そのために,家族の目の前で殺された),愚かにもクウェートに攻撃を仕掛け,湾岸地域にかろうじて残っていた汎アラブ主義を根絶したこと(クウェートには僕のおじが2人住んでいたが,激しい攻撃の後,クウェートから去ることになった),1991年の〔シーア派の〕蜂起の後,イラク南部でイラク人を大量に殺したこと,などなど,大きな災厄はいくらでもある。
米国政府はイラク人に真実を知らせたいとは考えていない。サダムがイラク人に本当のことを教えることはないだろう。歴史的に支援され,正当であるとの根拠を与えられ,米国によって隠蔽されてきたサダムの犯罪の秘密は,米国もサダムも,守り抜くだろう。
僕はバグダードが陥落する何年も前から,占領戦争に反対してきた。それは
僕がサダムを好きだったからではなく(→
日本語),こうなることが見えていたからだ。「解放」から2年が経過して,米国は大量破壊兵器はまったく見つけていないし,サダムは彼の秘密を一切語っていない。そしてイラクは燃え上がっている。
米国政府は処刑されたサダムの死体を,すべての秘密と一緒に埋めるだろう。僕たちがその秘密を知ることは予定されていない。軍事的支援(イランの反米的政府に対するイラクの戦争への無制限の支援のような),汚い政治的取引(サダムのクウェート攻撃に青信号を出したこと,またその後,1991年の南部での革命を叩き潰す許可を,サフワン
*のイラク政府に書面で出したことといった取引),イラクに販売された化学兵器(前線でイラン人に対して用いられたものや,イラク北部のクルド人に対して用いられたもののような),その他もろもろの政治的・経済的な秘密の取引,それらすべてが知られることなく埋められるだろう。
*******
イラクからは何も知らせはありません。イラク全土の何千という政治囚とそのご家族すべての胸中に思いを馳せています。
訳注:サフワン(Safwan)はイラクとクウェートの国境。
参考@globarsecurity.org。
-- original post:
Saddam, The US, and their Victims, Monday, July 18, 2005, posted by Raed Jarrar @ 8:32 PM
※日本語訳の文は暫定です。うまくできているとは到底思えません。(いつものことですが。)

深夜12時を過ぎてから、米国からの電話を受けました。昨日、マーラ・ルジカがバグダードで殺されたとのことでした。その後、友人の
ジャスティン・アレクサンダー(在バグダード)からメールがありました。
マーラの友人のみなさん、同じ仕事をしていたみなさん
バグダードの時間で午後3時から6時の間に、マーラは自動車の衝突で亡くなりました。今、僕の手元にある情報はわずかしかないのですが、自己はバグダードのエアポート・ロードで起きたらしいです。彼女は爆弾で怪我をしたイラク人の子どものところに行く途中でした。彼女のいつもの、この紛争で犠牲となった直接は関係のない人たちをどこの誰であると特定し、サポートする日々の仕事の一環として。
この件には米軍の車列が関係していたのですが、現段階ではどういうかたちで関係していたのかははっきりわかりません。
彼女の同僚のファイーズについては、居場所も健康状態もまったく情報がありません。彼はマーラと一緒に車に乗っていたと僕は思います。
マーラが追悼されること、彼女の仕事が続けられることが重要です。短期的には、マーラの友人たちで、マーラが支援しようとしていたイラク人たちを特定し、助けることができるようにと思ってます。
[...]
マーラは、紛争とは関係がないのに犠牲となった何百万という犠牲者の一人です。けれども、この2年彼女のやってきたことは、「コラテラル・ダメージ」として忘れられることの多い人たちに光を当て、彼らを助けるということでは、他に例のないインパクトを持っていたと、僕は思います。
マーラと僕は、
CIVICでのイラクの調査プロジェクトで組んでいました。上に貼り付けた写真は、1年前にナシリヤで誰かが撮影したもの。僕が写っている背景にマーラが写っています。このときの作業の結果をまとめたものは、
http://civilians.infoにアップしてあります。
Posted by: Raed Jarrar / 10:15 AM
-- original post:
Marla Ruzicka Killed in Baghdad, 17 April 2004
【“マーラ・ルジカがバグダードで殺された (17 April 2005)”の続きを読む】
「支援キャンペーン:イラクの民間人被害者への緊急援助」の第一段階(→
日本語での詳細説明)の終了を、本日宣言します。
僕の家族と僕がこのキャンペーンを始めたのは、5ヶ月以上前でした。
一番下の弟のマジードが資金集めの総責任者をし、すべての寄付金はマジードのPaypalアカウントか彼の住所、あるいは僕の銀行口座に送られました。
母と、もう一人の弟のハリードがイラク国内での支援物資の配送を担当しました。
ニキと僕とで、マジードから送金されたお金の受け取りと薬品の調達、ならびに調達した薬品のバグダードへの移送を行いました。
イラクからの僕の友人であるラーナとラファトも参加しました。ラーナはイラクの登録NGOをやっていて、第一回の発送で手伝ってくれました。
アンマンにいる僕のおばは薬剤師ですが、そのおばが第二回の発送で薬品の購入と移送に力を貸してくれました。
イラクの登録NGOである「イラクのための医師たち(Doctors for Iraq)」のメンバーのひとり、ドクター・サラームが、第三回の発送とそのイラク国内での分配に力を貸してくれています。
第一回発送分は、ファルージャ近郊のアル=ガルマという町に送られました。第二回発送分と第三回発送分は、今週配送されます。
(あちらから受け取り次第、さらにまた写真や書類を追加してウェブにアップします。)
寄付金の総額は、米ドルで18,343ドルでした。これまでに17,783ドルを使いましたが、まだ560ドル余っており、これは第二段階に繰り越します。
17,783ドルのうち、二次的費用(税金、罰金、輸送費、両替手数料、送金手数料)として使われたのは5パーセントで、95パーセントは、包囲され爆撃されたイラクの都市や町の市民たちのために非常に重要な薬品類を買うために使われました。
ウェブログの右側につけてあるボタンをクリックして、ご寄付を送金していただくことができます。5ドルとかそれ未満の送金でも大変にありがたいことです。1セント1セントが重要なのです。
下に今回ご寄付くださった方のイニシャルと送金額をリストにしておきます。ご自分のお名前が見当たらないという場合には、ウェブログのコメント欄ではなく僕までメールをください(コメント欄は読んでないので)。
【“支援物資第3回目を発送、支援計画第一段階終了(14 April 2005)”の続きを読む】

韓国が8月までに300人近くの兵員をイラクから撤退させることを計画していると、韓国の国防省が今日アナウンスした。イラク北部のクルド人地域での治安が向上しているため今回の動きが可能となったとしている。
同省は、イラク駐留韓国軍の兵員を270名削減して3270名にする予定であると述べた。しかし、韓国メディアがクルド人自治区内の都市アービルから既に500人を撤退させていると報じている件については否定した。Posted by: Raed Jarrar / 12:17 PM
-- original post:
Seoul Plans Partial Iraq Withdrawal, 07 April 2005

イラクで慢性的な食料不足と栄養失調に直面している子どもの数が増加しているとの報について、米英の当局者が否定している。国連の飢餓の専門家であるジャン・ジーグラー氏によって出された先週の報告書では、連合軍が主導した戦争のために、イラクの状況が悪化しているのだと非難している。
ケヴィン・モーレー米国連大使は、ジーグラー氏の発見を一蹴した。「第一に、ジーグラー氏はイラクに行ったことがない。第二に、彼は間違っている」と同大使は述べた。
わはははは!! 違う違う、あいつは間違ってる、僕が正しい、だって僕がそう言ったんだもん……。
どうにも手の施しようのないことになってやがる……。
この1日前には、
別の国連報告書が出てる。こちらでは、米国が
アラブのデモクラシーを妨害していると非難されているわけで……。
国連開発計画によって、「アラブの人的開発報告書(The Arab Human Development Report)」が出された。予定より6ヶ月遅れたが、その期間、ブッシュ政権はその報告書を妨害しようとしていた。しかしながら、報告書作成者によれば、報告書は初期の草稿と比べて大きな変更となった箇所はほとんどないようである。
ブッシュ政権は、初期の草稿における、パレスチナの領土に対するイスラエルのコントロールと、米国によるイラクの占領は、アラブの人的開発を阻害するために貢献したのみである、とする文言に反対していた。この報告書はまた、アメリカによるイラク侵略の1つの結果は、「イラクの人々は、基本的権利と自由を踏みにじったディストピア的政権の手から出たが、その結果は、人間としての苦しみを増加させた外国の占領のもとに落ちただけだった」とも述べている。
報じられたところによると、ブッシュ政権は、そのような文言が報告書のテクストから除去されないのであれば、開発計画への資金を減らすと脅した。開発計画では私営企業を通じて報告書を発表すること、ないしは報告書の著者の名前で発表することを検討した。最終的には開発計画は自身の名前でこの報告書を発表したが、前書きには注意書きが添えられている。
政治的に正しい答えを僕は知ってます。第一に、国連の人たちはイラクやパレスチナに行ってないから、イラクやパレスチナの自由を見たことがない。第二に、何にせよ彼らは間違ってる。
第三に、
資金をカットだ。
Posted by: Raed Jarrar / 10:18 AM
-- original post:
US and UK in Denial Phase, 06 April 2005
【“米国&英国、否定の季節(06 April 2005)”の続きを読む】